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GEを世界的な企業に育て上げた「最高の経営者」ジャック・ウェルチが84歳で死去

Fortune誌によって「世紀の経営者」、「最高の経営者」と称されるようになる何十年も前に、ジョン・F・ウェルチJr.は故郷のマサチューセッツ州セーラムの砂利採取場で、真面目なリーダーシップのスタイルの礎を築いていました。その場所は、放課後になるとウェルチや近所の子供たちの野球場になっており「毎日のようにケンカがありました」と、そのうちの1人で後にセーラムの公園管理人になったラリー・マッキンタイヤ氏はニューヨーク・タイムズ紙に語りました。「自分の倍はありそうな相手に食ってかかるウェルチの姿が今でも目に浮かびます。真正面に立ちはだかって『今度はぼくらの番だ。負けたやつは出て行け』と怒鳴っていたものです。

1981年にGEのトップに立つと、ウェルチ氏はニューヨーク州クロトンビルにGEの企業内研修所を開設し、その真ん中に円形競技場のようなの大きな教室「ピット」を作り、会社の脈動の中心に仕立てあげました。そこで1週間おきに講義を行ってリーダー世代の育成に活用し、ここで育った人たちが後にGEの成長を助け、企業価値が世界で最も高い企業となる上で大いに力になったのです。そこで育った人たちの中には、他の有名企業の経営に回った人もいました。ジェフリー・コルヴィン氏は1999年、Fortune誌の記事の中で「ウェルチ氏はCEO在任中、最も多方面から称賛され、研究され、真似されたCEOであり、GEの株主を豊かにしただけでなく、世界中の会社の株主価値も高めた」と評し、「生涯を通じて彼が経済に与えた影響は計り知れないが、それはGEでの業績をはるかに凌ぐに違いない」と記しています。

「ピット」は今もそこにありますが、ウェルチ氏はもういません。20年間に亘ってゼネラル・エレクトリックを率い、アメリカで最も成功した経営責任者の1人として知られるジャック・ウェルチ氏はつい先日亡くなりました。84歳でした。

ニューヨーク・タイムズ紙は、スージー夫人からの情報として死因は腎不全だったと伝えています。

遠慮のない直接的なスタイルで知られるウェルチ氏が最高経営責任者(CEO)に就任した1981年当時、GEの株価は低迷しており、時価総額はおよそ140億ドル程度に留まっていました。20年後に彼が引退した時、GEの時価総額は4,100億ドルに達し、この間に売上を約280億ドルから1,700億ドルまで伸ばしました。

GEのラリー・カルプCEOは月曜日、ウェルチ氏について「ジャックは伝説的な人物であり、半世紀に亘ってGEの中心となってきました。彼によってGE、そしてビジネス界は刷新されました」と称え、ウェルチ氏との最後の思い出として「『具体的に、どのような経営を行っているのか』と尋ねられた」ことを明かし、「ジャックは今なおGEの経営に関心を寄せ、GEの成功のために尽力していました」と故人をしのびました。

上部画像:45歳でGEの会長兼最高経営責任者(CEO)に就任したウェルチ氏
画像提供:イノベーション・科学博物館スケネクタディ 最上部画像提供:Getty Images

ウェルチ氏の人生のスタートは決して華々しいものではありませんでした。彼が鉄道の車掌をしていた父と専業主婦の母の間に生まれた1935年、米国は大恐慌のさなかにありました。しかし彼は勉強にも遊びにも熱心に取り組みます。夏の間、ゴルフのキャディ、新聞配達、靴のセールスマンとして働く一方で、ホッケーや野球、フットボールにも熱中しました。1957年にマサチューセッツ大学において理学学士を取得した後、1958年にイリノイ大学で理学学士修士号を取得、1960年に博士号を取得したときには、彼は24歳になっていました。

この年、GEに入社したウェルチ氏は、マサチューセッツ州ピッツフィールドのプラスチック事業部門の化学エンジニアとして働き始めます。すぐに頭角を現し、1972年に同社史上最年少で副社長に抜擢されると、1979年には副会長に指名され、1981年にレジナルド・H・ジョーンズ氏の後を受けて、GEの118年の歴史において8代目の会長兼CEOに就任しました。

それは非常に厳しい試練だったと述べています。ウェルチ氏は1986年のスピーチの中で、業績の上がらないさまざまな事業について「改善、閉鎖もしくは売却」のいずれかを選択したと述べ、「このあたりが『ニュートロン(中性子爆弾)・ジャック』と呼ばれる所以になった」と振り返っています。世界経済が停滞する中、市場で優位にあると見られる事業への投資を行いました。1983年から1985年までの間に、ウェルチ氏はGEで118件の買収やジョイントベンチャー、新会社の立ち上げを実行し、71の事業を処分しました。

上部画像:GE副会長兼執行役員のエドワード・フッド(左)、ローレンス・ボシディ(中央)、そしてウェルチ氏(右)
画像提供:イノベーション・科学博物館スケネクタディ

ウェルチ氏はGEを変化に対して柔軟に対応し大きな勝利をあげることのできる効率的な組織にしようと思い描いていました。その解決策が、GEの従業員が迅速かつシンプルに自信を持って働けるようにすることでした。また企業文化を変革する最善の方法は、トップからスタートすることだとも考えていました。こうした考えは1980年代に「ワークアウト」の導入という形で実を結び、この手法は官僚主義を一掃する生産性向上の取り組みとして知られるようになりました。この活動においては、マネージャー全員に戦略的に判断を下し、新規プロジェクトを打ち出す権限が与えられました。

ウェルチ氏は1986年に次のように記しています。「官僚主義的な慣習を社内から一掃することに成功し、私たちには最終的な、そして何より困難な問題に立ち向かうより良い態勢が整いました。それはGEの30万人の従業員が創造性や野心を解き放ち、それぞれの仕事に直接結びつけることで製品やサービスの質にプラスの効果を与えられるようにすることでした」

「私たちは男女問わず、この会社のすべての従業員に自分が1日を費やす仕事と市場での成功とのつながりを実感してほしいと思っています。従業員の役割や責任は誰に対しても明確になっていなければなりません。小さな会社は貢献とそれに対する報奨を実感することで成長し、発展します。私たちも同じようにありたいと考えており、経営システムを進化させるためのあらゆる取り組みは一貫してそのためのものです」

ウェルチ氏が経営責任者CEOに就任した1981年当時、GEの株価は低迷しており、時価総額はおよそ140億ドル程度に留まっていました。
20年後に彼が引退した時、GEの時価総額は4,100億ドルに達し、この間に売上を約280億ドルから1,700億ドルまで伸ばしました。
画像提供:イノベーション・科学博物館スケネクタディ

この過程で、ウェルチ氏は影響力のある米国ビジネス界のブレーンや産業界のリーダーが執筆し、GEのすべてのマネージャーが指針としていた分厚い「ブルー・ブック」を撤廃しました。Fortune誌がウェルチ氏を「20世紀最高の経営者」に選出した1999年にコルヴィン氏はウェルチ氏について次のように記しています。「GEのマネージャー達に向けた彼のメッセージは、初めから非常に首尾一貫して伝えられました。それは『事業のオーナーは君たち自身だ。自らが責任を取り、本社のことなど気にするな』ということであり、『官僚体質と戦え、憎め、蹴り飛ばせ、破壊しろ』というものでした」

ウェルチ氏自身の言葉を借りれば、彼の発言は常に熟慮の上でのものでした(事実、彼はいつも“ニュートロン・ジャック”というあだ名を嫌がっており、2005年には明確に「嫌いだ」とも語っています)1983年4月にデューク大学の学生向けに行った基調講演でウェルチ氏は次のように述べています。「当社の組織が変化に対応できるようにし…率直に意見が言える環境や、官僚主義的な行き詰まりのない環境を作ることで、組織内の誰もが良いアイデアを誰に対しても言えるようになります」

そうした体制を整備し、組織を簡素化しようとする願いは、ゼネラル・エレクトリックの社名にも向けられ、1986年にウェルチ氏によってGEに社名変更されました。

1995年、ウェルチ氏はプロセス改善のための技術とツールを組み合わせたシックスシグマを取り入れ、「ワークアウト」を一層強化しました。しかし、彼のやり方は単に理論を持ち込んだだけではありませんでした。ウェルチ氏は厳しい目標値を設定し、ジェットエンジン、プラスチック、機関車、金融サービス、放送事業などGEのすべての事業部門が市場で1位もしくは2位であることにこだわりました(1988年にウェルチ氏はGEにおいて該当する14の事業を特定しています)

ウェルチ氏は在任中、「米国のエンジニアリング業界はリーダーの座を取り戻す必要があります。上を向き、声を上げ、腕まくりして100年前にこの国がやっていたことをもう一度やることで…世界市場の勝者になりましょう」と主張しました。彼が毎朝5時にジムへ行き、7時半まで体を動かした後、12時間働き続けたことはよく知られており、引退後、勝利というテーマについて改めて考察したウェルチ氏は、2009年に自著「Winning(邦題「ウィニング 勝利の経営」)」を上梓しています。

現在のGEのCEOであるカルプ氏は月曜日、ウェルチ氏の伝説的な競争心を称え、次のように述べました。「私たちは彼が私たちに望む通りのことをすることで、今後もウェルチ氏のレガシーを受け継いでいきます。すなわち、勝利し続けることです」

ウェルチ氏は決して1つの考えに固執していたわけではないことも示しました。各市場で1位もしくは2位になるという戦略が彼の言葉では「つまらなく」なった際、すべての事業部門に対してGEのシェアが10%に満たない新規市場の開拓を義務付けました。

ウェルチ氏は年をとっても衰えを見せませんでした。引退に際して、これからはジムに行く時間が「朝5時ではなく朝10時に」なるだろうとジョークを言いましたが、GEを去った後も数年間、会社の顧問として働き、評論家として頻繁にテレビに出演したり、経営の第一人者として多方面で活躍しました。また、さまざまなレベルで働く世界中の人たちが生活を向上させ、将来に向けて組織を改革していくためのツールを提供することを目的に、ストレイヤー大学にオンラインでMBAを始めとする資格が取得できるやジャック・ウェルチ・マネジメント・インスティテュートも設立しています。

月曜日、カルプCEOは「ウェルチ氏はスージー夫人や子供たち、孫たちだけでなく、世界中に何十万人といるGEの現従業員・元従業員の心の中に生き続け、懐かしく思い出されることでしょう」とウェルチ氏を追悼しました。

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