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1,093回もの電球にスイッチが入った瞬間――エジソンの数々の発明

2020年5月28日 Poornima Apte

トーマス・エジソンの発明全てが、光り輝いたわけではありません。1893年に150万ドル(現在の価値で4.3億ドル以上)でゼネラルエレクトリックの持株を売却したのち、エジソンはその資金を米国の製鉄会社に鉄鉱石を供給する企業に投資しました。彼はいつものごとく細部にまで目を光らせました。米国電気電子学会(IEEE)の刊行誌InSightによると、「独自の粉砕機を設計し、世界最大の蒸気ショベルで巨大な石の運搬を可能にした」といいます。1902年までに、この企業は破産しました。「まあ、全部ムダになったけど、素晴らしい時間を山ほど過ごせた」とエジソンは語ったと伝えられています。

トーマス・エジソンの最も有名な発明は白熱電球ですが、1892年に自分の会社、エジソンゼネラル・エレクトリック・カンパニーと、トムソン・ヒューストン・エレクトリック・カンパニーを合併し、GEの共同創業者となったことも広く知られています。GEの株を手元に残すことで資産をさらに増やせたにもかかわらず、彼はその資金を発明への情熱につぎ込みました。エジソンは米国内で1,093件 という驚くべき数の特許を生み出し、彼が率いるメンローパーク研究所は「発明工場」という異名で呼ばれました。1983年以降、米国では毎年、エジソンの誕生日である2月11日は彼をはじめとする発明家を称える日になっています。

いつも時代の先を行っていたエジソンは、自動車、または潜水艦用等の電池も試していました。ベイリーの電気自動車の横でポーズをとるエジソン。  写真提供: イノベーション科学博物館(スケネクタディ)

エジソンの好奇心はとどまるところを知らぬようでした。今思えば不思議なことですが、大画面で楽しめる現在の超大作映画も、その起源をたどればエジソンが1889年に発明した動画撮影機キネトグラフに行き着きます。製作から販売まで全てを独占する垂直型の組織統合を信奉していたエジソンは、キネトグラフの映画製作スタジオのブラック・マリアまで設立。エジソン・スタジオも設置し、同スタジオは1,200本近い作品の監督・配給を手がけました。

この頃に彼は蓄音機も考案し、1877年のこの発明により、「メンローパークの魔術師」と呼ばれるようになりました。電話や電報の原理をヒントに誕生したこの発明は、溝のついた振動板が音を放射する仕組みを活用したものです。鍵となったのは、振動板に巻き付けた錫箔に針で溝を彫ることでした。この手順を逆にして、針で溝をたどれば音を再生できます。史上初の録音は何でしょうか?それは魔術師その人が歌ったなじみ深い童謡「メリーさんの羊」でした。エジソン自身はほとんど耳が聞こえなかったことを考えると、この発明はさらに驚くべきものでした。

独創的なアイデアをあふれる程生み出すエジソン。彼は、生涯で1,000件以上の米国特許を取得しました。 写真提供: イノベーション科学博物館(スケネクタディ) トップGIF画像提供: Fluxmachine

常に限界に挑もうとしたエジソンは、自分の発明を土台にさらなる工夫を凝らしました。蓄音機をさらに一歩進めて、「小さなモンスター」と名づけたしゃべる人形を発明しました。この人形はどこから見ても、映画『チャイルド・プレイ』に登場する恐怖の人形チャッキーといい勝負かもしれません。ブリキの胴体に小さな蓄音機を仕込んだエジソンの人形はハンドルを回すと子どもたちを喜ばせるよう童謡を再生する仕掛けでした。でも機械自体がパチパチと不気味な音を立てるせいで、観客となるはずの子どもたちが怖がって逃げてしまう始末だったそうです。

数々の発明の中には、蓄音機の前年にあたる1871年に特許を取得した電動ペンもあります。エジソンは、現代のコピー機が高度な形で行う文書複写という作業を自動化する装置を設計しました。振動する針が書かれた文字の輪郭をなぞり、それぞれのページの謄写版のようなものを作ります。この版の上にインクを流すだけで、同じページを何枚も複写できるのです。しかし、この発明は想定した利用者層に浸透せず、すぐ廃れてしまいました。とはいえ、振動する針でパターンを描くというアイデアは、後にボディタトゥーという新たなサービスにつながることになります。

1877年に蓄音機を発明。 写真提供: イノベーション科学博物館(スケネクタディ)

魅力があろうがなかろうが、エジソンの発明の多くは、彼が共同で興したGEという会社が進める革新的な技術進歩の基盤を作りました。難航した白熱電球の発明は、細く割いた竹を使うことで実現しました。強い熱にさらされると、竹のセルロースが気化して炭素繊維が残ります。この炭素繊維を白熱電球の実験の材料に活用したのです。1200時間の点灯は当時として驚異的な実績でしたが、さらに有望なタングステンフィラメントが登場すると、炭素フィラメントはすぐに姿を消しました。

何十年も経った今、炭素フィラメントは新たな形でジェットエンジンの部品として活用されています。GEは、同社で最も高出力のジェットエンジンの金属製ファンブレードを、より軽量なカーボンファイバー製に変更し、飛行機の燃費を改善しました。さらに、技術者らは風力タービンの部品や医療用画像装置への活用などこの奇跡の素材のさらなる用途を探っています。

X線装置も、エジソンの発明にその起源をたどれます。GEの共同創業者エリフ・トムソンは、エジソンの白熱電球を改良してX線を放出できるようにしました。こうしてX線装置が誕生し、人体の内部を透視する驚くべき機能により医療界に革命が起きたのです。

エジソンがスケネクタディを訪問し、GEの伝説の電気工学者チャールズ・スタインメッツとともにスタインメッツの100万ボルト雷発生器 が木製と磁器製の絶縁体に与えた損傷を調べる。2人の会話に聞き耳を立ててみたいものです。 写真提供: イノベーション科学博物館(スケネクタディ)

GEの技術者は現在、直流電流を活用して洋上風力発電所から電力を運ぶ「電力スーパーハイウェイ」なども構築しています。直流送電は損失が少ないため、長距離の地下ケーブルを通じて効率的に電流を変電所まで送り、交流に変換して電力網に供給できます。

エジソンが大好きだった直流は今も使われ続けており、GEはエジソンの遺産をもとに前進しています。発明家エジソンの光に関わる業績――彼が米国で取得した特許の約3分の1は、電気と電力にかかわるものでした――は、3Dプリントの鍵となるレーザー技術 につながりました。3Dプリントは、レーザーを使って金属粉材料をコンピュータで設計した形状に積層造形します。

エジソンが22歳で初めて取得した特許は、電気投票記録機でした。これは、電流を利用して議会で賛成票と反対票を即座に投じられる装置でした。現在、議会でこの装置を目にすることはありませんが、電話を始めとする数々の発明は、彼の人生が如何に豊かで荘厳であったかを永遠に語り継いでいくでしょう。彼の人生こそが超大作映画なのです。昨秋には故ルーズベルト大統領の伝記作家として知られるエドマンド・モリスの遺作となったベストセラー「エジソン」が刊行されました。

 

 

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